本宮泰風の代表作『日本統一』を完全ガイド|第1作から最新71作までの流れと見どころ【配信はどこで見れる?】

『日本統一』イメージビジュアル(油絵調・横長・文字のみ/人物なし)

俳優・本宮泰風。氷室蓮司を演じて十年以上、任侠映画の最前線に立ち続けている。
日本統一』は、彼の代表作にして人生そのものだ。2013年に始まり、最新の第七十一作へと続く長大な道。物語は、暴力と裏切りの中で“抗争のない世界”を掲げた二人の男の記録である。
氷室と田村、血で結ばれた絆。彼らの歩んだ軌跡を、第1作から最新作まで時系列でたどる。
理念を掲げた侠たちの闘いは、いまなお終わっていない。

目次

序章 本宮泰風という男

俳優・本宮泰風(もとみや やすかぜ)。
言葉よりも行動で語る男だ。
東京都出身、1972年2月7日生まれ。1994年に俳優としてデビューし、刑事ドラマや時代劇を経て、実力派として地歩を固めた。
そして2013年――任侠シリーズ『日本統一』の幕が上がる。ここから彼の俳優人生は、ひとつの道に定まっていく。

氷室蓮司(ひむろれんじ)。
この名を演じて十年以上、シリーズは第七十一作に到達した。主演でありながら総合プロデューサーとしても制作の中心に立ち、作品の温度と空気を決める座長でもある。
沈黙に力がある。怒鳴らずとも通る迫力。氷室が立てば場が締まる。それは、本宮泰風という俳優が持つ「揺るがぬ芯」の表れだ。

『日本統一』が描くのは、暴力と陰謀の渦中にあって「弱きを助け、強きを挫く」という信念を貫く男たちの物語。
氷室と田村――二人の背中が、理想を現実に変えようとする過程を語る。
彼らが進む道は血に濡れ、裏切りに満ちている。それでも仁義を捨てない。そこに、本宮がこの作品に賭ける想いがある。

『日本統一』は、任侠映画の新しい地平を切り開いたシリーズだ。
そして本宮泰風という俳優の人生そのものでもある。
仁義を貫くとは何か――その問いを、彼は氷室蓮司として体現し続けている。

第1章 『日本統一』誕生 ― 氷室と田村、はじまりの道

2013年、任侠Vシネマの世界に新たな潮流が生まれた。
タイトルは『日本統一』。主演は本宮泰風と山口祥行。
この二人が演じる氷室蓮司と田村悠人の出会いが、長大なシリーズの原点となる。

舞台は横浜。地元の不良で鳴らした氷室と田村は、地場組織・安西組を壊滅させる。
報復を避けるため、安西組若頭・秋本(哀川翔)の手引きで神戸へ。
二人は龍征会を立ち上げ、侠和会という巨大組織の傘下で再びのし上がる。
そこで出会うのが、侠和会・山崎組若頭の川谷(小沢仁志)。
度胸を買われた氷室たちは、三上組との抗争を経て、侠和会の中枢に足を踏み入れていく。

侠和会本部では、会長・権田(千葉真一)と若頭・工藤(白竜)が“全国統一”を掲げ、裏社会の均衡を握っていた。
氷室と田村はその下で、裏社会の構造と力の理不尽を目の当たりにする。
そして決意する――「弱きを助け、強きを挫く」。
この信念こそ、彼らの戦いを貫く唯一の筋となる。

第1作から第5作までは、氷室と田村が侠和会で信頼を得ていく過程が描かれる。
横浜から神戸へ。下積みから組織の要へ。
氷室は冷静に策をめぐらせ、田村は拳で道を通す。
理性と情熱、静と動――二人の対照が生む緊張が、シリーズ全体の骨格を形づくった。

任侠とは何か、仁義とは何か。
その問いを胸に、氷室と田村の“統一”への道がここから始まる。

第2章 勢力拡大と試練 ― 関東から全国へ、仁義の拡張

第6作から第30作までの『日本統一』は、氷室蓮司と田村悠人が侠和会の中核として台頭し、裏社会の勢力図が全国へと拡大していく時期にあたる。
横浜の路地裏で始まった物語は、関西、九州、東北へと広がり、二人は“統一”の旗印の下で日本全土を駆け抜けていく。
だが、勢力の拡大は理想の浸食でもあった。仁義を掲げた氷室と田村の信念は、権力の波に飲み込まれながら揺らいでいく。

第6作では、氷室の親替えを巡って大宮が射殺される事件が起きる。
氷室は一切の責任を背負い、侠和会から破門される。
出所した田村は亡き大宮の意志を継ぐと宣言し、氷室との関係は一時的に対立するが、川谷の采配によって再び手を組むことになる。
ここで二人は、組織のしがらみの中でも「筋を通す」ことの意味を思い知らされる。

第10作では、反侠和会連合「西日本睦会」が結成される。
その中心には玄誠会をはじめとする西日本の有力組織が名を連ね、侠和会と全面対立。
氷室と田村は、侠和会の命を受けて関西へ赴き、各地で激しい抗争の火消しに奔走する。
ここで氷室は、単なる戦闘員ではなく“交渉人”としての才覚を見せ、敵対組織との対話によって血の連鎖を止めようとする。

第18作から第20作では、舞台が九州へと移る。
至誠会の跡目争いをきっかけに、侠和会と西日本睦会の代理戦争が勃発。
九州の街全体が火薬の匂いに包まれ、血で血を洗う抗争となる。
ヒットマンによる襲撃で菅谷が重傷を負い、侠和会内には報復の空気が漂う。
氷室は冷静に情勢を読み、田村に「復讐より筋を通せ」と告げる。
彼の言葉は、侠和会の理性そのものだった。
田村は納得できずに現場へ向かうが、結局は氷室の判断が戦火を鎮める。
この九州編で、二人の関係は“対立と信頼”という複雑な絆へと変化していく。

第25作では、氷室が若頭に昇格し、田村は若頭補佐として新体制を支える立場になる。
侠和会の組織は全国に広がり、権田稜一や坂口ら新世代が頭角を現す。
だが、その矢先に川谷が襲撃され、組織の中に不穏な影が差す。
関東では丸神会が政治と手を組み、カジノ開発をめぐる地上げ計画が動き始める。
氷室は侠の道を守ろうとするが、周囲の世界はすでに別の方向へ動いていた。
仁義の理想が、金と権力の狭間でかすれていく。

第30作では、横浜を巡る緊張が極限に達する。
侠和会と丸神会の対立が激化し、棟方の死をきっかけに全面衝突の危機が訪れる。
藤代組では派閥が割れ、氷室と鶴見の関係も冷え込む。
この時期、氷室は誰よりも冷静に現実を見つめながらも、組織の膨張に警鐘を鳴らす。
「力で治めた秩序は、いつか崩れる」――その言葉は、彼の理念の核心だった。

第6作から第30作にかけて、氷室と田村は侠和会の頂点に近づきながらも、同時に理想の終わりを感じ始めていた。
統一の夢は現実となり、現実は理想を呑み込む。
氷室は秩序を信じ、田村は人を信じる。
二人の信念は交わり、ぶつかり、そして組織の中に新たな亀裂を生む。
この時期の『日本統一』は、抗争の拡大ではなく、“信義の拡張”そのものだった。
その先に待つのは、理念の揺らぎと、内部崩壊の序章である。

第3章 理念の揺らぎと内部抗争 ― 組織の肥大と信義の崩れ

第31作から第50作にかけて、『日本統一』は物語の核心へと踏み込む。
侠和会は全国制覇を目前に控え、氷室蓮司と田村悠人は組織の頂点に立つ存在となっていた。
だが、拡大しすぎた力はやがて自壊を招く。
この時期の物語では、理想のために掲げた「統一」が、次第に“支配”へと姿を変えていく様が描かれる。
氷室と田村が貫いてきた仁義は、組織の肥大化によって音を立てて崩れ始めていた。

第31作では、丸神会幹部・秋本の死をきっかけに、侠和会と丸神会の緊張が一気に高まる。
藤代組内部で起きた殺人事件が火種となり、横浜は全面抗争の寸前まで追い込まれる。
氷室と丸神会の鶴見はそれぞれ戦闘の準備を進めるが、右翼団体の堀井が間に入り、戦争を避けるための調停に動く。
この一件で、政治や外部勢力が裏社会に深く絡み始める構図が明確となり、侠和会の“仁義”に影が差す。
氷室は戦いを避ける道を選ぶが、その判断が一部の幹部に“弱腰”と受け取られ、組織内に亀裂が生じ始める。

第36作から第40作にかけては、侠和会の統治が次第に硬直化していく。
氷室の理想主義に反発する強硬派が現れ、地方組織を巻き込んだ派閥抗争が勃発。
田村は現場の火消しに奔走し、血を流してでも秩序を守ろうとする。
だが、現場の惨状を知る田村ほど、氷室の理念に疑問を抱き始めていた。
「言葉だけじゃ、誰も止まらねぇ」――その言葉に、二人のすれ違いがにじむ。
氷室は田村を責めず、ただ「筋を通せ」とだけ告げる。
その静かな一言が、かえって二人の距離を遠ざけていく。

第45作では、龍征会の斎藤が服役を終えて出所する。
氷室と田村は銀座のシマや広島ブロックの跡目争いを調停する立場に立ち、旧友の復帰が勢力図に波紋を広げていく。
だが、調停の場ではすでに裏切りの種がまかれていた。
氷室が「理想で人は動かせない」と悟る瞬間でもあり、組織の中に蔓延する“利権”と“猜疑心”が物語を濃く染めていく。

第50作では、侠和会が東京進出を本格化させる。
だが、その前に立ちはだかるのは丸神会、東友会、そして七人会。
さらにその背後には「笹島財団」という新たな権力構造が潜んでいた。
八誠会の長谷川が殺害され、侠和会内には緊張が走る。
氷室と田村は、内密に報復の準備を進めるが、その過程で“統一”の理念が完全に形を失っていく。
氷室は「統一とは力ではなく、秩序を作ることだ」と言い、田村は「秩序を守るために、どれだけの血が必要なんだ」と返す。
二人の信念が、決定的にすれ違った瞬間だった。

第31作から第50作に描かれるのは、氷室と田村が理想と現実の狭間で葛藤する姿だ。
氷室は権力の渦の中で“秩序”を求め、田村は現場で“仁義”を貫く。
同じ目的を持ちながらも、手段が違う。
やがて、二人の立つ場所は別の方向を向き始める。
組織の頂点に立った氷室は孤高となり、田村は現場の泥にまみれる。
血と権力に染まった“統一”という理想は、もはやかつての光を失っていた。

この時期の『日本統一』は、単なる抗争劇ではない。
組織が肥大化するほどに崩れていく信義、人を信じることの難しさ、そして「仁義とは何か」という原点への問い。
それらがすべて、氷室と田村の関係の中に凝縮されている。
静かに、しかし確実に崩れていく侠和会の姿は、理想の終焉を予感させる。
第50作に至るまでの軌跡は、『日本統一』という物語が抱える“矛盾”そのものだった。

第4章 再編と決意 ― 組織の裂け目に灯る仁義の炎

第51作から第63作にかけて、『日本統一』は新たな局面を迎える。
東京進出によって膨れ上がった侠和会は、外圧と内紛に揺れながら再び“統一”の意味を問い直すことになる。
氷室蓮司と田村悠人――かつて同じ夢を見た二人は、失われた信義を取り戻すため、再び肩を並べる。
この時期の物語は、組織の崩壊と再生、その狭間で燃え続ける仁義の炎を描いている。

第51作では、氷室と田村が堀井から「笹島財団」という得体の知れない存在の情報を得る。
侠和会の外で動く巨大な資金と政治の影。
氷室はその名を聞いた瞬間に、裏社会の秩序が変わり始めていることを悟る。
帰路で京浜連合会の襲撃を受け、東友会の圧力も強まる中、二人は「力ではなく理で治める」ことを改めて誓う。
だが、現場では暴力が止まらず、氷室の理念は再び現実に試されることになる。

続く物語では、侠和会内部の緊張も高まっていく。
田村を守るため、虎が囮となり逮捕される。
組織の中に友情と犠牲が交錯し、警察特捜班・松宮が侠和会を追い詰める。
フェンタニルの密売ルートを巡る調査が進む中、丸神会との関係も再び動き始める。
氷室は戦うよりも交渉を選び、田村は現場で筋を通す。
冷静と熱情――二人の役割が再び明確に分かれるが、その目的は同じだった。
「侠の道を守る」ために、どちらも己のやり方で動いていた。

第60作では、所沢を巡って侠和会と丸神会の対立が再燃する。
丈治が所沢に事務所を構え、緊張が高まる中、“ルビー”と呼ばれる女がシャブ取引を仕切るという情報が浮上。
氷室と田村は背後に蠢く黒幕の存在を探り始める。
特捜班は常に二人を監視しており、表の法と裏の仁義が交錯する状況に追い込まれていく。
氷室は「秩序を壊すのは敵だけじゃない」と呟き、田村は「なら、守るために戦うしかねぇ」と返す。
それは、二人の信念が再び一つに戻り始めた証でもあった。

第63作では、カモメ教会事件の後、侠和会はようやく小康を得る。
丈治が川谷の指示で真崎組に挨拶へ向かうが、その裏で新たな衝突が起きる。
勇や信光といった若手が真崎組のシマで騒ぎを起こし、再編後の均衡が揺らぐ。
氷室と田村はすぐに動き、事態の収拾に当たる。
再統一は果たされたが、平和はまだ遠い。
それでも氷室は「人が筋を通せば、組も立ち直る」と語り、田村は無言でその背中を追う。

第51作から第63作は、『日本統一』において“再生の章”と呼ぶにふさわしい。
氷室は理念を現実に戻し、田村は現実の中で理念を守る。
二人の間に言葉はいらない。
かつて失われた信義が、再び静かに形を取り戻していく。
外では笹島財団や東友会が蠢き、内では若手が血を流す。
それでも、氷室と田村は立ち続ける。
仁義の灯を絶やさぬために――それが彼らの“統一”の本当の意味だった。

第5章 宿命の果て ― 終わらぬ統一の行方

第64作から第71作――ここから先の『日本統一』は、長き抗争の果てに、それぞれの侠たちが何を守り、何を失うのかが問われる章となる。
血と義理、裏切りと信念。
氷室蓮司と田村悠人は、もはや後戻りできない時代の流れの中で、それでも“筋”を貫こうとする。

第64作では、横浜を舞台に若い世代の暴発が描かれる。
丈治が勇に撃たれ、勇らは「勇信会」を名乗って藤代組のシマを荒らし始める。
京浜連合会では坂上が新理事長に就任し、侠和会との関係が不穏な空気を帯びていく。
氷室は事態を静かに見極めながら、「怒りで動けば、筋は死ぬ」と告げる。
その一言が、暴走する若手たちへの無言の警告となった。

第65作から第66作にかけては、舞台を京都へ。
駅前再開発をめぐる利権争いが、新たな抗争の火種となる。
侠和会組員が銃撃され、黒岩や松宮ら特捜班が動き出す。
やがて自治会長・健次郎が射殺され、娘の玲子が「侠和会に殺された」と訴える。
世間は一斉に氷室たちを敵視し、組織の正義は再び踏みにじられる。
同時期に岡田が出所し、丸神会の内部がきな臭さを増していく。
氷室は表と裏、政治と暴力の狭間で奔走しながら、秩序を保とうと足掻く。

第67作では、八誠会から一方的な代替わり通告が届く。
新たな跡目には岡田連合が関与しており、侠和会を挑発する形となる。
氷室は「筋の通らねぇ話は呑めねぇ」と絶縁を宣言し、丸神会との衝突は避けられなくなる。
第68作では、氷室と田村が代替わりの場に乗り込み、三田が「徹底的にやる」と宣告。
警察の包囲が強まり、テルや斎藤が逮捕される中、正児の死がさらに抗争を加速させる。
中島は復讐を誓い、侠和会の結束は再び血によって試される。

第69作では、美南の死がすべてを変える。
氷室の胸に残るわずかな温もりが、冷たい現実に呑み込まれる。
川谷は報復を禁じ、三田は源治らを破門。
一方で岡田はその決断に反発し、藤代組へ奇襲を仕掛ける。
仲間を守るために田村が動き、氷室は感情を抑えながら「人を斬るより、己を斬れ」と言い放つ。
それは彼の覚悟の表れであり、侠の原点でもあった。

第70作では、侠和会が岡田兄弟会への攻撃を開始。
その報復をきっかけに警察が全面介入し、黒岩と松宮が岡田を追い詰める。
裏社会と公権力が一線を越え、戦いはもはや極道の範囲を超えていた。
やがて川谷と三田が直接対峙し、“統一”という言葉が最後の賭け札として投げ出される。
氷室はすべてを見届けるように、静かに言う。
「統一は、力で作るもんじゃねぇ。信じた奴と、生き残ることだ」

そして第71作。
抗争の嵐が去った後、侠和会と丸神会はトップを欠いたまま沈黙する。
幹部たちはそれぞれの思惑で動き、誰が新たな“要”となるのかを探る。
統一は終わらない。
氷室が掲げた理想は、組織の形を超えて、残された者たちの胸に息づいていた。

第64作から第71作にかけて描かれるのは、“力の統一”から“心の統一”への転換だ。
血で築かれた秩序が崩れ、最後に残ったのは人としての義。
氷室蓮司と田村悠人の歩んだ道は、勝者の物語ではない。
それは、仁義を信じ続けた者たちの記録だ。
『日本統一』はここで一応の区切りを迎えるが、侠の魂はまだ消えていない。
統一とは、終わらせることではなく、受け継ぐこと――その答えを残して、物語は次の世代へと引き継がれていく。

第6章 受け継がれる統一 ― 新時代の侠たちへ

『日本統一』は、いまも歩みを止めていない。
公式では第72作までが公開され、氷室蓮司と田村悠人の物語は現在進行形で続いている。
長き抗争の果てに残ったものは、組織でも権力でもなく、“仁義”という名の魂だった。
血で築いた時代が終わり、心で繋ぐ時代が始まる。

本編と並行して展開されているのが、「日本統一 外伝」シリーズだ。
『山崎一門』『川谷組』『藤代組』『中島組』など、侠和会を支える支部や人物に焦点を当てた物語が各地で描かれている。
そこには、氷室と田村の教えを直接知らない若者たちが、それぞれの土地で“筋を通す”姿がある。
派手な抗争ではなく、人の義と誇りをめぐる静かな闘い。
それが、氷室たちの残した「心の統一」が息づいている証だ。

一方、地上波ドラマ『日本統一 東京編』(テレビ東京)は、シリーズの新しい段階を示した。
舞台は現代の首都圏。
任侠だけでなく、警察や特捜、政治家までもが入り乱れ、裏社会と表社会の境界が曖昧になる。
暴力ではなく、情報と資金が力を握る時代。
だが、どれほど時代が変わっても、「義を貫く」という侠の原則だけは決して揺らがない。
氷室と田村が体現した“筋の通し方”が、若い世代の判断や生き方の中に確かに息づいている。

外伝や東京編を通して、『日本統一』という世界は拡張を続けている。
それぞれの物語に共通しているのは、“仁義とは誰かを守るための力”というテーマだ。
戦いの形は変わっても、侠の心は変わらない。
氷室の言葉が、それを象徴する。
「筋を通せば、道は残る」

『日本統一』は、単なる極道映画のシリーズではない。
時代を越えて、人の信義と誇りを描き続ける“現代任侠叙事詩”だ。
氷室蓮司と田村悠人が築いた統一の志は、次の世代の侠たちへと確かに受け継がれている。
銃を置いても、闘いは終わらない。
“仁義”という火が燃え続ける限り、この物語もまた、終わることはない。

終章 仁義を生きる ― 本宮泰風と『日本統一』が遺したもの

十年以上にわたって紡がれてきた『日本統一』は、Vシネマという枠を越え、もはや“現代の任侠叙事詩”と呼ぶにふさわしい存在となった。
2013年に第1作がリリースされて以来、氷室蓮司と田村悠人という二人の男が歩んだ道は、ただの抗争劇ではなく、信義と人情、そして己の生き方を問う物語だった。

氷室蓮司を演じた本宮泰風は、冷静沈着でありながら情に厚い侠を見事に体現した。
時に冷酷に見えても、その根底に流れるのは「筋を通す」という揺るぎない信念。
彼の一挙手一投足は、台本を越えて“男の美学”そのものとして映し出されている。
対する田村悠人を演じる山口祥行は、泥臭く直情的で、仲間のためなら命を張るタイプ。
この対照的な二人の存在がシリーズの軸となり、時代や舞台が移っても、物語に血を通わせ続けてきた。

シリーズを重ねるごとに、抗争のスケールは広がり、敵は裏社会だけでなく政治、財団、国家へと及ぶ。
だが、描かれてきたのは決して暴力の連鎖ではない。
そこには、裏社会であっても「人としてどう生きるか」を問う誇りがあった。
仁義とは、誰かを守るために立ち上がる勇気であり、自らの利を捨ててでも信じた道を貫く意志だ。
氷室と田村の戦いは、その象徴として観る者の胸に刻まれていく。

『日本統一』が長く支持される理由は、単なる娯楽に留まらない“リアル”があるからだ。
現代社会の矛盾や権力構造を背景に、義理人情という古い言葉をもう一度照らし出す。
その物語に共感するのは、中高年だけではない。
若い世代もまた、氷室の“背中”に、誠実に生きようとする人間の姿を見いだしている。

そして何より、このシリーズの魂は主演・本宮泰風に宿っている。
彼自身も作品の総合プロデューサーを務め、現場の空気から作品の方向性まで背負ってきた。
画面の外でも“統一”を体現してきたその生き方が、物語と現実を地続きにしている。
『日本統一』とは、まさに本宮泰風という俳優が己の人生を懸けて築き上げた一つの「道」なのだ。

氷室の言葉にある――
「統一とは、力でなく心をひとつにすること」
この一言が、シリーズ全体を貫くテーマであり、ファンがこの物語を愛し続ける理由だ。

抗争の果てに残るのは、血ではなく絆。
破滅ではなく再生。
そして、仁義を貫いた者だけが辿り着ける“静かな誇り”である。

『日本統一』はまだ終わらない。
氷室と田村が歩んできた道の先に、新たな世代の侠たちが続いている。
仁義という名の炎は、スクリーンを越えて今も静かに燃え続けている。

仁義という名の炎は、スクリーンを越えて今も静かに燃え続けている。
──その“統一の道”を、今こそ体感せよ。
【DMMプレミアム】日本統一シリーズを今すぐチェック

視聴ガイドと配信情報 ― DMMプレミアムで体感する仁義の軌跡

『日本統一』という壮大な任侠サーガを本気で楽しむなら、時系列に沿って観ることが何より大切だ。
十年以上にわたって描かれてきた氷室蓮司と田村悠人の生き様は、一本の筋を通して初めてその真価を放つ。

視聴順のおすすめ

順番視聴タイトル補足
日本統一(第1作〜第10作)氷室と田村の出会い、侠和会誕生までの原点。任侠の“仁義”が芽生える導入編。
日本統一(第11作〜第30作)抗争の激化と組織の拡大。関東制圧をめぐる激闘の連続。
日本統一(第31作〜第50作)裏切りと再生。氷室と田村、信念の違いがぶつかりあう中盤戦。
日本統一(第51作〜第63作)組織再編と全国抗争。仁義を試す嵐の時代。
日本統一(第64作〜第70作)権力・国家との激突。最終章に向けた氷室の覚悟と新時代の胎動。
日本統一 外伝シリーズ「山崎一門」などスピンオフ多数。侠和会の人間模様を補完。
日本統一 東京編テレビドラマ版。警察・政治が交錯する新たな抗争の舞台。

この順で観れば、氷室と田村の関係性、そして侠和会という巨大組織の成長と崩壊を自然にたどれる。

DMMプレミアムでの配信情報

『日本統一』シリーズはDMMプレミアム(DMM TV)で本編1〜70まで配信中。
うち第1〜65作は見放題、第66〜70作はレンタル/購入で視聴可能だ。

DMMプレミアムは月額550円(税込)。見放題枠では本編のほか外伝・山崎一門シリーズ・東京編など関連作品も順次追加されている。
登録後はPC・スマホ・テレビのどれでも視聴でき、シリーズを通しで観るのに最も快適な環境が整っている。

今こそ、仁義の物語をその目で

『日本統一』は単なる極道映画ではない。
氷室蓮司が貫く“筋を通す生き方”は、現代に生きる俺たちにも問いを投げかける。
友情、裏切り、信義、そして赦し――。
すべての痛みを背負いながら、男たちは前へ進む。

仁義の火はまだ消えない。
その道の果てを、DMMプレミアムで確かめてほしい。

▼【公式】DMMプレミアムで『日本統一』を観る

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